スマケア営業担当ブログ vol.1

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スマケア営業担当ブログ vol.1

こんにちは。
ホームネット株式会社 スマケア営業担当のササノです。

先週7月3日で、〇回目の誕生日を迎えました。
この日は新紙幣の印刷もスタートしています。この文章を書いている7月10日現在、私の手元にはまだありません。

高齢者の中には、聖徳太子の壱万円札を大事に保管されている方もいらっしゃいますね。
ちなみに私事ですが、数年前に祖父母の自宅の整理をする際に、板垣退助の百円札、岩倉具視の五百円札が数枚、そしてその並びにあった箱を多少期待して開けたところ、大昔の棒状のそうめんが大量に入っていました。

残念ながら私の祖父母の自宅には埋蔵されていなかった壱万円札ですが、私たちの見慣れた福沢諭吉が壱万円の肖像画になったのは1984年です(同時に五千円札では新渡戸稲造、千円札が夏目漱石を肖像画として発行されています)。

印刷技術が発達し、幾度かリニューアルされましたが、これまで40年の長きにわたって福沢諭吉は最高額紙幣の肖像画として親しまれてきたわけです。

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福沢諭吉は慶應義塾大学の創始者です。そして今回紙幣の肖像画に登用された、渋沢栄一(壱万円札)は一橋大学、津田梅子(五千円札)は津田塾大学、そして北里柴三郎(千円札)は北里大学の創始者です。最終的には日銀法で時の財務大臣が決めるそうなので、麻生太郎が決めたことになるのでしょうか。※麻生太郎は学習院大学卒でした。

以前は明治の元勲・政治家が登用されるケースが多かったわけですが、教育者が登用されるのも時代の流れの一つなのかもしれません。

なお、我が国の最高紙幣の肖像画を飾るのは、聖徳太子という暗黙のルールがあったようです。
1946年発行の百円札を皮切りに、1950年発行の千円札、1957年発行の五千円札、そして、1958年発行の壱万円札と、戦後の長期間、我が国の最高紙幣の「顔」として聖徳太子がなじんできたために、1984年に福沢諭吉に変わるときは、相当な反対があったといいます。その際に、当時の大蔵大臣(現財務大臣)は「聖徳太子は、将来の五万円札や十万円札が発行された際の顔として取っておきましょうとして反対派を押し切ったといいます。当時はそれも不思議ではない経済状態だったのでしょうか。

最後に、国の狙いとして、今回の新紙幣発行に合わせて、家計に眠る「タンス預金」の交換と需要の喚起が期待されているそうです。弊社の代表の藤田もそのように述べています。
また、自販機等の新紙幣対応のコストは、約1兆6,300億円だそうです。

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